【アクセス困難なお寺】酷道の先にある京都金蔵寺の拝観内容と御朱印

金蔵寺元愛宕大権現石碑

京都には世界遺産醍醐寺の山上の上醍醐や、愛宕山の月輪寺(つきのわでら)など険しい山道を歩いて登るアクセスの厳しいお寺がいくつかあります。

京都市の右京区大原野にある金蔵寺もアクセスの厳しいお寺の一つです。

三方を山に囲まれた京都の西の山、小塩山の中腹にある知る人ぞ知るお寺で、

この辺りで有名なお寺、花の寺として知られる勝持寺と西国三十三所第20番善峯寺との間に位置しています。

金蔵寺へは徒歩と車で行くことができますが、徒歩の場合は山登り、車の場合は車道が細く厳しい道でいわゆる酷道となります。


どちらを選んでもなかなか厳しい道で簡単には行くことができません。


それでも行ってみたいと興味を持った方のために金蔵寺までの酷道と、その先にある金蔵寺境内の様子を紹介します。山の中のお寺は京都の観光寺院とはまた違った雰囲気を味わうことができます。

金蔵寺へのアクセス

金蔵寺へ公共交通機関で行く場合は京阪京都交通バスで最寄りのバス停は「長峰」。お寺付近まで行けるわけではなくこのバス停から金蔵寺までは1時間ほど歩くことになります。


車では府道733号(柚原向日線)、西京区大原野の「灰方」交差点を過ぎ、しばらくすると十輪寺の看板が見えるので矢印の方向ではなく反対へ右折。


しばらくまっすぐ進み、頭上看板に「7km外畑→(右)、←(左)灰谷2km」とありその先に分岐があります。これを外畑方向(右)へ、分岐点には「左 大原野寺」と書かれた道標の下に小さく「金蔵寺あと3km」と案内看板があります。


集落の間の細い道を進んでいくとやがてバス停「長峰」が左手に見え、さらに進むとやがて酷道のスタート地点へ辿り着きます。

車は酷道、徒歩では山登り

坂本道路案内表示板

「長峰」のバス停から府道733号をまっすぐ進み「坂本」まで上がってくると正面に「金蔵寺→1.4km」と書かれた看板が見えます。


徒歩の場合はここをまっすぐ進めますが、車は右折します。

この看板のある橋を渡るとここからが酷道の本番です。ドライバーの皆様はここから特に運転に注意してください。

車道は落ちたら死ぬレベルの危険な場所もあるので、運転技術に自信がない人は車で行くべきではありません。

金蔵寺への道中は見通しの悪い急カーブあり、ヘアピンカーブ4回あり、崖側にガードレールがない場所や車がすれ違えない細い道があります。しかも対向車が1・2台くらい来ることがあります。

普段から酷道をドライブやツーリングしている酷道マニア向けの道となっています。

ここからが酷道の始まり(写真左)で、そこからさらに上っていくと途中に「西岩倉山金蔵寺」と書かれた石碑が建っており(写真右)車道と徒歩の道とが分かれます。


このあたりの車道も道幅が車一台分しかなく見通しも悪いかなり厳しい道になっています。


徒歩の道はこれから車道をショートカットして山道を登っていきます。

一願不動明王

金蔵寺一願不動明王

さらに車道を上がっていくと途中左側に一願不動(不動堂)があります。右側には入亀山霊園。


徒歩の道も一度ここに出て、また車道と別れ山中を進みます。


一願不動までくれば金蔵寺まであと900m。

奥に祀られているのは金蔵寺の開山、隆豊禅師(りゅうほうぜんじ)作の不動明王の石仏。


現在は表面が風化しており一見して不動明王なのかわかりにくくなっています。


不動堂の左側には美少年の墓があります。美少年であった三井寺の稚児梅若丸(うめわかまる)が、三井寺と比叡山との争いに巻き込まれ身を投げてしまい佳海(けいかい)は金蔵寺に庵を結び梅若丸を弔いました。佳海はのちに金蔵寺8世になっています。

元愛宕大権現の石碑

金蔵寺への車道と歩道

車道はさらに上へと続き、元愛宕大権現の石碑の所で車道と徒歩の道が合流してまたすぐ分かれます。車道はこの先金蔵寺への分岐へ、徒歩の道は階段から金蔵寺仁王門に至ります。

金蔵寺への分岐

金蔵寺への分岐

車道はこの分岐を右へ進むと金蔵寺まではあと約300m。ここからは車がすれ違うことがほぼ不可能な道になります。

ここだけは対向車が来ないことを祈るしかありません。

この道を抜けた先には金蔵寺の広い駐車場があります。

金蔵寺基本情報

寺 名西岩倉山 金蔵寺(こんぞうじ)
拝観時間午前8時~午後5時
拝観料300円(入口は無人、仁王門賽銭箱へ)
拝観場所本堂・開山堂・愛宕大権現堂など
宗 派天台宗
御本尊十一面千手千眼観世音菩薩(秘仏)
アクセス【バス】京阪京都交通バス「長峰」下車、徒歩約1時間
【自動車】向日市から車で30分
駐車場・駐輪場無料駐車場あり

仁王門を入って階段の右側にはトイレがあります。

しかし水が出ないことがあるので注意が必要です。

その場合は階段を上りきった先に手水屋があります。

金蔵寺の歴史

金蔵寺本堂扁額

寺伝によると金蔵寺は奈良時代の718年、元正天皇の勅願により隆豊禅師によって創建。

その後聖武天皇より勅額を賜り、諸経を写して寺領に埋められました。


平安京造営の時、桓武天皇は平安京を守るため京都の四方の岩倉に経典を埋めました。その一つ西方にあたるのが西岩倉山金蔵寺です。


平安時代以後は山中に堂塔伽藍が建ち並ぶ大寺院でしたがたびたびの兵火や火災によって衰退。建物がすべて焼失したため金蔵寺の正確な歴史を伝える記録はありません。

現在の建物は江戸時代、徳川5代将軍綱吉の母である桂昌院(けいしょういん)によって再建されたものになります。

金蔵寺の伽藍

〈 金蔵寺境内図 〉

金蔵寺境内図

※個人的に作ったもので公式のものではありません。細部は実際と異なる場合があります。

〈番号と対応する各建物一覧〉

1仁王門(無人拝観受付)8長嘯亭と見晴し台
2護摩堂9葉山神社
3桂昌院お手植えしだれ桜10三社殿
4本堂11桂昌院御廟
5開山堂12受付
6愛宕大権現堂13庫裡
7下の川弁財天と聖武天皇経塚碑

基本的に建物の内部に入ることはできません。

各建物の名称について

金蔵寺を拝観しても由緒などが書かれたものはもらえません。

そのため金蔵寺公式の各建物の名称がわかりません。

本や他の方のブログを参考に各建物の名称を決めています。必ずしも金蔵寺公式の名称ではないことをご了承ください。


ちなみに御朱印をいただけば金蔵寺のある小塩山(おしおやま)についてのパンフレットはもらえます。

金蔵寺と関係あるのかないのかわかりませんが境内にはやたらたぬきの置物が置かれています。目についたものだけでも10個以上、バリエーションもいろいろとあります。

仁王門

金蔵寺仁王門

金蔵寺への入口かつ拝観受付で、通常のお寺とは違い人はいません。

中央には賽銭箱が置かれており、ここに拝観料300円を入れて境内へと入ります。

左右にはなかなかしっかりとした仁王像。

護摩堂・庫裡・書院

仁王門からの階段を上がると広くなっている場所に着きます。右手に護摩堂、左手に庫裡や書院、小さな池のある庭園などがあります。

金蔵寺護摩堂

護摩堂。内部には五大明王像が祀られています。

護摩堂の前にはパネルがあり御本尊と思われる不動明王の絵もあります。


護摩堂の北側には石井(いわい)があり水が湧いています。この上にかつて延喜式内社の石井神社(いわいじんじゃ)がありました。1953年に山から降ろされて山麓の山王社に合祀されています。

桂昌院お手植えしだれ桜

金蔵寺桂昌院お手植えしだれ桜

2022年4月10日撮影

護摩堂の対面には庫裡などがあり、その前には金蔵寺を復興した桂昌院お手植えのしだれ桜があります。


桂昌院お手植えの桜は、同じく桂昌院によって復興された近くの善峯寺にもあります。善峯寺の桜について詳しく知りたい方は下記のリンクからどうぞ↓

【京都西山のフォトスポット】善峯寺の桜•あじさい•紅葉の写真を撮る

庫裡の玄関と思われる所には駕籠(かご)と孔雀の絵が描かれた豪華な衝立が置かれています。

本堂

金蔵寺本堂

江戸時代、桂昌院により再建。

右側の柱には説明がありますが、肝心な建立年の部分が劣化により読めなくなっています。


御本尊には隆豊禅師と山の神(向日明神)との合作で、楠(くす)の霊木に天狗の爪で刻したと伝える十一面千手千眼観世音菩薩像が祀られています。


ある本には雨乞いの時のみ開帳される秘仏と書いてありましたが、残念ながら見れることはないようです。

金蔵寺本堂千手観音

本堂には梵字と御真言の書かれたパネルが置かれており、そこには小さく御本尊と思われる絵があります。秘仏なので目にすることはできないはずですが…はたして本当にこのような姿をしているのでしょうか。


小さな窓から中をのぞくことはできますが厨子が閉まっており御本尊を見ることはできません。堂内にはかなり豪華な厨子と千手観音を守る二十八部衆らしき仏像が祀られています。


本堂からはお経のような音が常に出ていて初めて訪れた方は不思議に思うかもしれません。山の中のお寺なので動物よけか何かでしょうか。

周辺には桂昌院の実家である本庄(ほんじょう)家の九目結紋(ここのつめゆいもん)が付いている古材と思われるものも置かれています。写真右は本堂の後ろ。

金蔵寺本堂

桓武天皇が平安京を守るため京都の四方の岩倉に経典を埋めた場所の西にあたるのが金蔵寺ですが、正確な場所はわかっていません。この本堂の地ともいわれることがあります。

開山堂

金蔵寺開山堂

本堂より右へ進むと開山堂。金蔵寺の開山隆豊禅師をはじめ歴代の祖師をお祀りしています。


右側の柱の説明には、金蔵寺で最も立派なお堂で、江戸時代の1705年桂昌院の建立と書かれています。

愛宕大権現堂

金蔵寺愛宕大権現堂

本堂背後の高い所、うっそうとした木々の中にあり、昭和に寄進されて建てられました。

堂内には勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)が祀られています。

かつて愛宕山にあった勝軍地蔵が、明治の神仏分離により金蔵寺へ遷されたもの。古来勝負や防火にご利益のある地蔵として信仰があつく、多くの武将が祈願しました。


明智光秀が本能寺へ攻め入る前に祈ったのもこの勝軍地蔵です。

毎年4月23日の10時過ぎから12時までの午前中のみ、勝軍地蔵が御開帳されます。

下の川弁財天と聖武天皇経塚碑

金蔵寺下の川弁財天

何も説明がないので詳細が不明の神社。近年建てられたように見えます。


鳥居の扁額には「下の川弁財天」と書かれているのでおそらく弁財天が祀られているのだと思います。この社の後ろには聖武天皇経塚碑があります。

金蔵寺聖武天皇経塚碑

聖武天皇の経塚に関係する石碑。御経塚と大きく書かれた下には小さい文字があり、1693年経堂を建立したとき土の中から大乗経を納めた一壺を得たのでここに移して碑を建てたと書かれています。

長嘯亭と見晴し台

金蔵寺長嘯亭と見晴し台

下の川弁財天の右側、階段を上った所には長嘯亭(ちょうしょうてい)と見晴し台があります。


江戸時代の数寄者、木下長嘯子(きのしたちょうしょうし)は最晩年勝持寺(花の寺)の近くに住んでいました。その庵をこちらに移したものと伝わります。

長嘯亭の中はシンプルで侘しい雰囲気、数寄者が好むような工夫された造形はありません。

金蔵寺見晴し台からの景色

見晴し台からは比叡山から東山の山並み、京都タワーも見え京都市内の景色を一望することができます。

葉山神社

金蔵寺葉山神社

本堂より左へ進むと比較的新しい感じがする葉山神社があります。


鳥居右側にある1990年4月と刻まれた石碑によると本殿に木花咲弥姫大神を、右殿に当山全自然神霊、左殿に桂昌院御魂が祀られているようです。社の後ろには葉山家と書かれた宝篋印塔が建っています。

三社殿

金蔵寺三社殿

3つのお社が1つの屋根で覆われています。詳細は不明で、このうち1社には向日明神が祀られてるようですがどの社か場所はわかりません。他2社についても何が祀られているのかわかりません。

桂昌院御廟

金蔵寺桂昌院御廟

桂昌院は少女時代、善峯寺と金蔵寺で過ごした縁でこの2つのお寺を復興されました。善峯寺にも桂昌院廟があります。

御廟の内部には石塔(写真左)が置かれています。御廟右側の道を奥へと進むと墓地のようなもの(写真左)があります。

金蔵寺の紅葉と見どころ

金蔵寺の紅葉

2022年11月26日撮影

金蔵寺の紅葉は山腹に伽藍があることから京都市内より早めに色づくかと思います。ここで紹介している紅葉の写真は全て2022年11月26日に撮影したもので、11月後半でも見頃は続いていました。


紅葉の見どころは本堂への階段あたりと、開山堂周辺が最も美しいと感じました。


先にも書いたように金蔵寺へのアクセスは容易ではありません。観光バスが入れる道ではないので紅葉シーズンのピークでも訪れる人は少ないです。


登山者のグループがたまに通って少し賑やかになることはありましたが、ほとんど静かに紅葉を楽しむことができました。

手水屋には干し柿が吊るされ山寺に合う秋のしつらえ。どこか懐かしい感じがします。

金蔵寺の紅葉

本堂の右側道の分岐、愛宕大権現の赤い鳥居あたりも雰囲気がいいです。

本堂前にはお坊さんの像があります。天台宗のお寺なので最澄でしょうか?それとも金蔵寺に関係ある人なのか、詳しくはわかりません。境内のたぬきたちも秋の装い。

金蔵寺の紅葉

開山堂前にはイチョウの木もあり色とりどりの紅葉もきれいです。

金蔵寺の御朱印

金蔵寺受付

金蔵寺の御朱印は鐘楼横にある受付でいただくことができます。紅葉シーズン以外は人がいないことが多いですが呼び鈴を押せば来てもらえます。

通常御朱印

金蔵寺の御朱印

大慈悲尊 300円

金蔵寺でいただける通常の御朱印です。御朱印帳に書いてもらうことができます。

秋限定紅葉朱印

金蔵寺の秋限定紅葉朱印

阿弥陀如来 500円 書き置きのみ

2022年11月1日〜12月4日まで授与されていた秋限定の御朱印で書き置きのみです。御朱印帳には書いてもらえません。

金蔵寺

住所 : 〒610-1134 京都府京都市西京区大原野石作町1639
電話 : 075-331-0023