【京都最古のお寺】太秦広隆寺 歴史ある寺院の拝観内容と弥勒菩薩の御朱印

広隆寺楼門

京都市右京区、東映太秦映画村の南にある広隆寺は飛鳥時代に起源をもつ京都で最も古いお寺です。


日本に帰化した秦氏族の秦河勝(はたのかわかつ)が聖徳太子のために建てたお寺で、794年の平安京遷都前からありました。


現在の広隆寺は国宝第1号の弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)があるお寺としても有名で、拝観のメインは新霊宝殿(宝物館)での仏像鑑賞になります。


境内は広いので混雑することはなくゆっくりと見て回ることができ、秋には紅葉が楽しめます。


2020年9月現在広隆寺の公式ホームページはないようなので拝観の内容や見どころとなる仏像、御朱印などをブログにてまとめてみました。


情報は2020年9月21日訪問時のものです。

広隆寺基本情報

寺 名蜂岡山 広隆寺(こうりゅうじ)
拝観時間午前9時~午後4時30分
拝観料【新霊宝殿】大人 800円 / 高校生 500円 / 小・中学生 400円
境内は無料で入れます。
宗 派真言宗
御本尊聖徳太子(上宮王院太子殿)
アクセス市バス「太秦広隆寺前」から徒歩約1分 
京都バス「太秦広隆寺前」から徒歩約1分
京福電鉄「太秦広隆寺駅」から徒歩約2分
JR嵯峨野線「太秦駅」から徒歩で13分
駐車場・駐輪場無料駐車場あり / 駐輪スペースあり

広隆寺の歴史

広隆寺が創建された正確な年はわかっていません。

古い史料に広隆寺の文字はなく、『日本書紀』には603年秦河勝が聖徳太子から仏像を受け「蜂岡寺」を造ったとあります。この文章からは603年に寺が完成していたかまではわかりません。


また『日本書紀』623年には新羅(しらぎ)からもたらされた仏像が「秦寺」に納められたとあります。納めたとあるのでこの時すでに秦寺があったと考えられています。この時納められた仏像が現存する国宝第1号の弥勒菩薩半跏思惟像と推定されています。


広隆寺の文字が出てくるのは『朝野群載』所載の『広隆寺縁起』(836年)に、622年に聖徳太子のために秦河勝が「広隆寺」を建立したとあります。


広隆寺には地名を由来とする「蜂岡寺」や秦氏の氏寺である「秦寺」などの別名がいくつかあり、はじめは蜂岡寺や秦寺の名で呼ばれていて、広隆寺という名が積極的に使われだしたのは平安時代になってからのことです。


この少なくとも3つある名前、蜂岡寺・秦寺・広隆寺が同一の寺院とするのが定説ですが『朝野群載』所載の『広隆寺縁起』には広隆寺は最初現在の平野神社あたりにあり、狭くなったので現在の広隆寺がある場所に移転したとも読み取れる文章があります。


しかも平野神社の南、広隆寺が最初あったとされる場所からは1936年に北野廃寺跡が発見されおりここを蜂岡寺、現在の広隆寺の場所にも飛鳥時代から寺院が存在してい可能性がありここを秦寺として平安京遷都により合併して広隆寺となったという蜂岡寺と秦寺はもともと別の寺院だったという説も出ています。

広隆寺は818年に火災にあっており、それ以前の縁起や由緒が燃えてしまっているため正確な情報はわかりません。

拝観料を払うといただける広隆寺公式のパンフレットでは603年に建立された京都最古の寺院で、『日本書紀』603年に聖徳太子から受けた仏像を現存する国宝第1号の弥勒菩薩半跏思惟像としています。


広隆寺はいつ創建されたかの他にも多くの謎があり、研究者によって意見が異なるようです。


伽藍は818年と1150年の2回火災に遭いながらもその都度復興されいますが、かつてあった金堂や塔などは失われています。御本尊も創建時は弥勒菩薩、平安時代は薬師如来、鎌倉時代以降は聖徳太子と時代によって変化しながら現在も聖徳太子信仰のお寺として知られています。

写真左/今出川通りと西大路通りの交差点東側にひっそりと立つ北野廃寺跡の碑。北野廃寺跡を蜂岡寺(創建時の広隆寺)とする説もあります。


写真右/広隆寺楼門前にあるの標柱の下の石は、かつて広隆寺にあった塔の礎石が転用されている。

伽藍

広隆寺境内図

広隆寺境内図

写真 : 広隆寺リーフレット

広隆寺は境内に入るだけなら無料です。新霊宝殿で仏像を見る場合は拝観料が必要になります。

【重要文化財】講堂

広隆寺講堂

1165年に再建された広隆寺で最も古い建物で「赤堂」とも呼ばれる。

堂内には中央に国宝の阿弥陀如来坐像と、左右に重文の地蔵菩薩坐像・虚空蔵(こくうぞう)菩薩坐像が安置されています。


1565年に修理改造され縮小されている。講堂に安置されていた国宝の十一面千手観音立像(西北隅)・不空羂索観音菩薩立像(東北隅)は現在新霊宝殿に移されています。

2020年9月の現状

数年前発生した台風の被害を受けており、2020年9月21日の訪問時は瓦が落下する危険性があり近づけなくなっていました。


お堂の扉も閉まっており中の仏像を見ることもできませんでした。
いつ頃また講堂内部が見れるようになるかはわからないとのことです。

薬師堂

広隆寺薬師堂

靴を脱いで入口の前まで上がることができます。堂内には入れません。


小さな窓から堂内を見ることができますが、中が暗くはっきりと見えないので安置されている仏像の詳細はわかりません。


中央に開いた厨子の中に薬師如来立像(新霊宝殿にあるものと同じような天部形)、向かって左側に閉ざされた厨子が、向かって右側に不動明王坐像が置かれています。


広隆寺のリーフレットによると、阿弥陀三尊立像・薬師如来立像・不動明王・弘法大師・理源大師・道昌僧都が祀られているそうです。

地蔵堂

広隆寺地蔵堂

正面に空いたい小さな窓から中を見ると、小さなお堂からは想像できない巨大な地蔵菩薩坐像(腹帯地蔵)が堂内に安置されています。彩色が綺麗に残っていますが、お寺の説明では弘法大師が諸人安産・子孫繁栄のため作ったとされています。

上宮王院太子殿(本堂)

広隆寺上宮王院太子殿

1730年に建てられた広隆寺で最も大きい建物で、広隆寺の本堂になります。

靴を脱いで入口の前まで上がることができますが、堂内には入れません。

【御本尊】聖徳太子像 

平安時代(1120年) 仏師頼範作

毎年11月22日のみ開扉。

広隆寺の特別拝観 聖徳太子御火焚祭 毎年11月22日

上宮王院太子殿の本尊聖徳太子像は普段見ることができませんが、聖徳太子御火焚祭が行われる毎年11月22日のみ開扉され堂内に入って見ることができます。


本尊である聖徳太子三十三歳の等身像は黄櫨染(こうろぜん)御衣を着ています。歴代天皇から即位式に用いられた黄櫨染の御袍(ごほう)と同じものを贈られていました。

この日は新霊宝殿に置かれている秘仏の薬師如来立像も開扉されます。

【国宝】桂宮院(非公開)

参拝受付から少し進むと桂宮院(けいきゅういん)の石碑があります。昔は一般の人も入ることができる日があったようですが、今は公開されていません。


聖徳太子が楓野別宮(かえでのべつぐう)を起こしたところと伝えられ、閉ざされた道の先には1251年に中観上人が再興した桂宮院(八角円堂)があります。


桂宮院の本尊、聖徳太子十六歳像は新霊宝館に移されています。

その他建物

他にも楼門・能楽堂・井戸舎・太秦殿・弁天堂などがあり、新霊宝殿の前には蓮の花が咲く小さな池があります。

能楽堂                    太秦殿

弁天堂                 新霊宝殿前の庭

新霊宝殿

広隆寺新霊宝殿

新霊宝殿に入る場合は拝観料が必要になります。

参拝受付で拝観料を支払うといただける広隆寺のリーフレットがチケット代わりになっており、入口でチェックがあります。

ここに有名な国宝第1号の弥勒菩薩半跏思惟像(宝冠弥勒)があります。

約50体もの仏像があり、そのうち16体が国宝の仏像です。

聖徳太子と関係する弥勒菩薩や如意輪観音、真言宗の大日如来や不動明王、薬師如来と十二神将、5体もある吉祥天、阿弥陀如来や五髻文殊、蔵王権現などいろいろな仏像があります。


すべて紹介することはできないので国宝と特徴的な仏像のみ紹介します。


新霊宝殿内は写真撮影禁止、照明は暗めに設定されています。

新霊宝殿内略図

広隆寺新霊宝殿内略図

※上が北になります。※正確な図面はわからないので細部、縮尺は実際と異なります。
※仏像の配置は2020年9月21日訪問時のものです。

□は仏像、は国宝の仏像です。

〈 番号と対応する仏像一覧表 〉

国宝弥勒菩薩半跏思惟像(宝冠弥勒)
弥勒菩薩半跏思惟像(宝髻または泣き弥勒)
十二神将像(12体/北側6体・南側6体)
十一面千手観音立像
不空羂索観音菩薩立像
重文⑥薬師如来立像(秘仏)
⑦日光・月光菩薩立像
⑧聖徳太子十六歳像
⑨秦河勝御夫妻神像
⑩千手観音坐像

広隆寺の仏像

上の一覧表の中から特に見どころとなる仏像を紹介します。弥勒菩薩の他にも貴重な仏像があり、これらの仏像から広隆寺の歴史が感じられるかと思います。

【国宝】弥勒菩薩半跏思惟像(宝冠弥勒)

広隆寺弥勒菩薩像看板

この弥勒菩薩像についても確かなことはわかっていません。

飛鳥時代のもので新羅からの渡来仏とされており、飛鳥時代の日本の彫刻では使われないアカマツ材でできていることや韓国の国立中央博物館にそっくりな弥勒菩薩像があることなどから新羅で造られた仏像と推定されています。


頭に宝冠をかぶっていることから宝冠弥勒とも呼ばれています。もともとは金箔が貼られ金色でした。


日本人の好みに合った穏やかな顔、すらりとした体の造形やその静かな佇まいに魅力を感じ、この仏像を目的に広隆寺を訪れる人も多いかと思います。


新霊宝殿のいちばん奥まった場所に置かれている弥勒菩薩像の前には畳があり、座って参拝することができます。


この弥勒菩薩半跏思惟像(宝冠弥勒)は1951年6月9日に国宝第1号に指定されています。


【重要文化財】薬師如来立像(秘仏)

平安時代の像でかつての金堂本尊とされる天部形の薬師如来。秘仏になっており1年で1日だけ姿を見ることができます。

毎年11月22日のみ厨子が開扉されます。

通常の如来形ではなく薬師如来と吉祥天を合わせたような姿で、神仏習合の過程で生み出されたとされる像。元々長岡京の乙訓社にありいくつかの場所を巡って広隆寺に来たとされています。

【国宝】十二神将像 12体

平安時代の作で薬師如来を守る12体の守護神。木彫十二神将像の最古の作例とされています。薬師如来立像(秘仏)の左右に置かれている日光・月光菩薩立像とともに製作されました。


平等院鳳凰堂の阿弥陀如来坐像で有名な仏師定朝の弟子だったと伝えられる長勢(ちょうせい)、あるいはその一門の作とされています。


12体の像の造りにバラつきがあるためすべて長勢作とは考えられておらず、造形のバランスが優れている「安底羅(あんてら)大将・摩虎羅(まこら)大将」が長勢作ではないかと推定されており、その他の像については研究者によって意見が異なるようです。

【国宝】十一面千手観音立像・不空羂索観音菩薩立像

新霊宝殿にあるほとんどの仏像は小型〜中型ですが、国宝の十一面千手観音立像(平安時代)・不空羂索観音菩薩立像(奈良時代)に重文の千手観音坐像を加えた3体のみ大型の仏像でかなり迫力があります。


十一面千手観音と不空羂索観音はもともと講堂に安置されていたもの。


不空羂索観音は像高314cmの新霊宝殿で最も大きい仏像です。すらりとした体の立像で、シンプルですが美しい造形です。


京都で不空羂索観音が見れる所はほとんどなく、不空羂索観音で有名なのは奈良東大寺の三月堂と興福寺の南円堂。広隆寺と奈良の寺とのつながりも感じさせます。

広隆寺の御朱印

広隆寺の御朱印は「弥勒菩薩」「太子楓野別宮」2種類

参拝受付左側の御朱印受付でいただくことができます。御朱印を書いてくれる人はいないようで、日付以外すべてスタンプになっておりどちらも300円で御朱印帳に押してもらえます。


広隆寺オリジナルの御朱印帳は販売されていません。事前に御朱印帳の準備が必要です。
どこで御朱印帳を買うべきかわからない場合はこちらの記事へどうぞ↓
京都の御朱印帳はどこで買うのがいいのか【おすすめの5つのお寺を紹介】

広隆寺の御朱印弥勒菩薩

弥勒菩薩 300円

弥勒菩薩の御朱印。サンプルもこの御朱印だけしか出ていません。何も言わずに御朱印帳を渡すとこちらの御朱印になります。

聖徳太子御遺跡 第二十四番

広隆寺の御朱印太子楓野別宮

太子楓野別宮 300円

聖徳太子にゆかりのある28のお寺から成る霊場の御朱印。聖徳太子が建てた楓野別宮の文字と、桂宮院の印が押されています。


聖徳太子御遺跡の御朱印は伝えないと対応してもらえません。
こちらのサンプルは出ていないので欲しい場合は「聖徳太子の方の御朱印で」と伝えてみてください。