2020年10月12日(月)台風被害から復旧された高山寺を訪れました。
高山寺は2018年の台風で大きな被害を受け、200本以上の倒木で境内の金堂や開山堂も損壊し、復旧するまでの間は国宝・石水院(せきすいいん)のみの公開となっていました。
そのような状態から復旧し、2020年4月からまた境内全域の公開を再開しています。
京都市右京区の栂尾(とがのお)にある高山寺はJR京都駅からバスでおよそ1時間と決してアクセスがいいとは言い難い場所にあり、そのため観光客も少なく豊かな自然に囲まれた山のお寺で静かな時間が過ごせます。
1994年には世界文化遺産に登録され、日本でも特に人気の国宝・鳥獣戯画が伝わったお寺としても有名です。
この記事では2018年の台風以前の境内写真も交えながら復旧後2020年現在の境内の様子や鳥獣戯画(複製)、いただける御朱印についても紹介します。
[ もくじ ]
高山寺 基本情報
寺 名 | 栂尾山 高山寺(こうさんじ) |
拝観時間 | 午前8時30分~午後5時 |
拝観料 | 石水院 800円(2024年現在は1,000円) ◆2020年10月10日(土)から11月末まで 【秋期入山料】500円 ※通常は境内無料 |
拝観場所 | 石水院 境内(金堂・開山堂・御廟・仏足石など) |
宗 派 | 真言宗 |
御本尊 | 釈迦如来 |
アクセス | 自動車 名神高速道路京都南ICまたは京都東ICから約45分 バス ◆JR京都駅から JRバス高雄・京北線「栂ノ尾」「周山」行 約55分・栂ノ尾下車 ◆京都市営地下鉄烏丸線四条駅から 市バス8系統 約50分・高雄下車、徒歩約15分 |
駐車場 駐輪場 | 無料駐車場・駐輪場あり ※11月のみ有料 |
高山寺の歴史
高山寺は奈良時代末の774年光仁天皇の勅願によって開創されました。
その時は神願寺都賀尾坊(じんがんじとがのおぼう)と呼ばれ、814年に都賀尾十無尽院(とがのおじゅうむじんいん)と改称されました。
そこから近くの神護寺の別院だったこともありますが、平安時代の記録はなく「高山寺」としての歴史が始まるのは鎌倉時代になってからになります。
1206年明恵上人(みょうえしょうにん)が後鳥羽上皇より栂尾の地と、華厳経に基づく「日出先照高山之寺」の勅額を賜りこれ以後高山寺と呼ばれるようになりました。
応仁の乱や1881年の火災で伽藍の大半を失いましたが金堂・開山堂・石水院は残り、鎌倉時代の住宅建築を伝える石水院は1953年国宝に指定されています。
高山寺についてさらに詳しく知りたい場合はこちらの本がおすすめです。境内の様子や高山寺に伝わる鳥獣戯画、その他の美術品についても詳しく説明されています。
拝観内容
高山寺で建物内に入ることができるのは国宝の石水院のみです。
ほとんどの参拝者はバス停や駐車場がある裏参道から高山寺境内に入り、その先にある石水院への入口の門に到着します。
明恵上人が若い頃修行した神護寺方面から来る場合は表参道から高山寺境内に入ります。入口辺りには1881年の火災まで仁王門があり仏師運慶の長男湛慶(たんけい)作の金剛力士像がありました。
石水院が見たい場合は石水院拝観受付(書院)で拝観料800円(2024年現在は1,000円)を支払います。境内のみの散策なら拝観料はかかりません。但し秋期は入山料500円が必要です。
明恵上人時代の唯一の遺構、国宝・石水院
鎌倉時代に建てられた高山寺で最も古い建物で国宝に指定されています。
明恵上人が後鳥羽上皇より学問所として賜った建物とされ、明恵上人が生きていた頃の唯一の遺構でかつては春日明神・住吉明神を祀っていました。
もとは現在の金堂東にあったものを、1881年の火災で焼失した旧三尊院跡の現在地に1889年に移築。
2018年の台風で無事だったのは不幸中の幸いだったと思います。
写真 : 高山寺パンフレット
石水院には高山寺の名前の由来となった「日出先照高山之寺」の扁額があります。
現在残るものは後鳥羽上皇の宸翰(しんかん)を元に近臣の藤原長房に作らせたもの。
この他にも当時のものかはわかりませんが十無尽院の表札のようなものも残っています。
本来は庭の奥に見える門から石水院へ上がるようですが一般の参拝者は門をくぐることも庭へ降りることもできません。
石水院は4つの部屋に分かれており、西側の部屋には善財童子の彫刻があります。その上にある「石水院」の扁額は高山寺を度々訪れていた明治の文人画家、富岡鉄斎が書いたもの。
中央の部屋には国宝の明恵上人樹上座禅像(複製)や湛慶作とされる子犬の彫刻も置かれています。
鳥獣戯画(複製)
鳥獣戯画は甲・乙・丙・丁の全4巻の絵巻物で国宝に指定されています。
鳥獣人物戯画絵巻とも言われ、最も有名なのはカエルやうさぎなどの動物が擬人化されユーモラスな姿で描かれる甲巻。
教科書でも見る有名な絵巻で膨大な研究もありながら、誰が、いつ、どこで、何の目的で描いたのか確実なことがなにもわかっておらず、すべてが謎のままです。(これまでの研究から甲・乙巻は平安時代、丙・丁巻が鎌倉時代の制作と考えられています。)
京都の高山寺に鳥獣戯画が伝わっていたことは知られていますが、なぜ高山寺にあったのかまではわかりません。
高山寺では鳥獣戯画の本物を見ることはできません。
現在は甲・丙巻が東京国立博物館、乙・丁巻が京都国立博物館に寄託されています。
高山寺の石水院には鳥獣戯画の複製が展示されています。
石水院西側に乙・丙・丁3巻の縮小版が、東側に甲巻のおそらく原寸大と思われるものが置かれています。
鳥獣戯画グッズもある授与品コーナー
石水院拝観受付(書院)から石水院へ続く廊下にはお守り、ポストカードやクリアファイル、御朱印帳その他にも鳥獣戯画モチーフのおみあげがたくさんあります。
高山寺公式ホームページのオンラインショップでは販売されていない商品も置いてあります。
現地でしか買えないものもあるので是非自分の目で見てお気に入りを見つけてください。
また書院では座ってゆっくりお茶をいただくこともできます。
写真 : 高山寺ポストカード
高山寺の御朱印
御朱印は石水院拝観受付(書院)で先に御朱印帳を預け、石水院を見ているうちに書いてもらったものを帰りに受け取るスタイルです。
御朱印は御本尊の釈迦如来1つのみ、御朱印帳に直接書いてもらえます。
本尊釈迦如来 300円
御朱印のあて紙にも鳥獣戯画のかわいいスタンプが押されています。
高山寺の御朱印帳
デザイン : 鳥獣戯画 甲巻 相撲部分 各1,800円
販売されている御朱印帳の種類は2020年10月12日の訪問時には3種類ありました。御朱印帳のサイズは大きいサイズ。
上の写真2種類の御朱印帳は過去に購入したもので現在この色は販売されておらず、色違いで左側のデザインでグレーと黄色の2色が、右側のデザインで緑色が販売されていました。
この他もう1種類御朱印帳の下半分に鳥獣戯画がデザインされ上半分は白のものがピンク色と緑色の2色、各2,000円で販売されていました。
高山寺の御朱印帳についてさらに詳しく知りたい方は下記のリンクから高山寺の御朱印帳部分へどうぞ↓
京都の御朱印帳はどこで買うのがいいのか【おすすめの5つのお寺を紹介】
高山寺の境内
石水院以外の高山寺境内は紅葉シーズンでなければ無料で入ることができます。
2018年に台風の被害にあった境内が、2020年復旧しました。以前の境内の様子を交えながら現在の様子をお伝えします。
旧石水院跡
境内の北東に現在は階段だけが残る旧石水院跡。明治の火災前まではこの場所に石水院が建っていました。
開山堂
高山寺を中興した明恵上人を祀るお堂で明恵上人坐像を安置しています。
明恵が亡くなった禅堂院跡地に建てられたもので江戸時代の再建。2018年の台風で屋根が壊れていたようですがきれいに修復されていました。
明恵上人は華厳宗と真言宗を学び、その独特の信仰から生まれた優れた文化財が今も高山寺に残っています。
また明恵上人は宇治へとお茶を伝えたことでも知られています。
明恵上人坐像
この像はいつ誰が作ったかはわかっていません。高山寺には湛慶の製作した像が多くあったため、この像も慶派の製作かと推測されています。
写真 : 高山寺パンフレット
御廟・日本最古の茶園・仏足石
明恵上人御廟(ごびょう)や日本最古の茶園は無事だったようで以前とほとんど変わらない姿でした。
今回の復旧で最も変わっていたのは仏足石が置かれているエリアです。
仏足石エリア2018年の台風前と2020年の復旧後
2016年の仏足石周辺
上の写真は2016年に撮影したもので以前はうっそうとした木々の中にあった仏足石。わかりにくかもしれませんが写真中央の家のようなものの中に仏足石が置かれています。
2020年復旧後の仏足石周辺
周りの木々がすべてなくなり広場のようになっていました。周辺には新たに木が植えられています。
この辺りの倒木の状況が最もひどかったのでしょうか。
左の写真は2017年に撮影、右の写真は2020年復旧後撮影したもの。
覆いの部分は新しくされ石も敷き直されたようです。
中に置かれた仏足石
2016年の仏足石分岐エリア
明恵上人御廟から仏足石か旧石水院跡へ向かう分岐エリア。
写真中央の木の左側に見える石碑の方へ進めば仏足石が、わかりづらいですが奥へ進めば旧石水院跡から金堂へと続く道が続きます。
2020年の仏足石分岐エリア
2016年の仏足石分岐エリアの写真と少し位置は違いますがほぼ同じ場所の2020年復旧後の写真。
写真左側に小さく見える石碑は以前と同じもの。その後ろにあった木がほぼなくなり太陽の光が差し込むようになりました。
2016年の御廟から金堂への道
2018年の台風以前は苔むした地面に木の根が這い回るうっそうとした木々の中を進み金堂へと向かいました。写真中央に小さく屋根のみ見えるのが高山寺の金堂。
金堂
1219年に完成した金堂本尊には快慶作の半丈六釈迦如来像が安置され、その後運慶作の丈六盧舎那(るしゃな)如来が移されてきました。
当初の本尊は2つとも失われ、金堂も応仁の乱で焼失。
現在の金堂は江戸時代の1634年仁和寺真光院を移築したもので、本尊は他から移されてきた釈迦如来坐像が安置されています。
2018年の台風で倒木により屋根が壊れていたようですがきれいに修復されていました。
金堂向かって左側には宝塔が、右側には春日明神社があります。鎌倉時代には金堂左側に三重塔が建っていました。
2020年復旧後の高山寺まとめ
2018年の台風被害から約1年半をかけ復旧し、2020年の4月1日より境内全域が再び公開となった高山寺。
境内の各所で大木が切られた跡があり、200以上の倒木があったことを実感しました。特に境内中央部分(下の写真左側)にあった木がごっそりとなくなっており、このあたりの倒木が多かったことが想像できます。
この部分の木がなくなったことで以前のような山中の神秘的な雰囲気は少しなくなり残念ではありますが、被害を免れたと思われる苔むした石垣などが台風前の高山寺の雰囲気を今に伝えています。
金堂や開山堂の壊れた部分も言われなければわからないほど元どうりに修復されていました。
仏足石周辺など変わってしまった所はありますが高山寺の歴史や鳥獣戯画のルーツを知りたい場合、また山や自然が好きな人にはおすすめできるお寺です。喧騒を離れた静かなお寺であることは今でも変わっていません。
高山寺
住所 : 〒616-8295 京都府京都市右京区梅ヶ畑栂尾町8
電話: 075-861-4204