毎年行われている京都夏のイベント、第47回京の夏の旅で京都市右京区にある世界遺産龍安寺の仏殿・西の庭が特別公開されています。
京の夏の旅では初公開となる仏殿・西の庭は、有名な石庭西側の普段は非公開で入れないエリアにあります。
2022年は龍安寺を創建した細川勝元(ほそかわかつもと)の550年遠忌にあたるので、それに合わせた特別公開のようです。
龍安寺の仏殿と西の庭が特別公開されることはめったにないので、実際に行って見たものをブログにまとめました。
いつもは見れない龍安寺の非公開エリアの様子をお伝えします。
[ もくじ ]
第47回 京の夏の旅 龍安寺基本情報
公開場所 | 大雲山 龍安寺(りょうあんじ) |
公開期間 | 2022年7月9日(土) ~ 9月30日(金) |
時 間 | 午前10時~午後4時30分(午後4時受付終了) |
拝観料 | 【通常拝観料】大人500円 / 小中学生300円 【京の夏の旅拝観料】大人400円 / 小学生200円 |
公開内容 | ●石庭 ●仏殿 ●昭堂 ●西の庭 他 |
宗 派 | 禅宗 |
御本尊 | 釈迦如来 |
アクセス | ・京福電車「龍安寺」下車 徒歩約7分 ・京都駅からJRバス(栂ノ尾・周山行き)「竜安寺前」下車 徒歩約2分 |
駐車場 | ●普通車 石庭拝観者に限り1時間無料 ●バイク・自転車 無料 |
龍安寺の歴史
龍安寺は室町時代の1450年、細川勝元が妙心寺五世の義天玄招(ぎてんげんしょう)を開山に禅寺として創建。
応仁の乱で焼失しますが勝元の子政元、特芳禅傑(とくぼうぜんけつ)の時代に再興されます。
この頃に石庭もつくられたとされていますが、石庭について詳しいことは何もわかっていません。
1499年には方丈が建立されました。
しかしその後江戸時代の1797年に方丈、開山堂、仏殿などほとんどを火災で焼失。
現在の方丈は塔頭の西源院の方丈(1606年建立)を移築したもの。
1975年にイギリスのエリザベス2世女王と、フィリップ殿下が日本を訪問されたとき龍安寺の石庭に立ち寄りました。このことから龍安寺は世界的に有名になります。
1994年には古都京都の文化財として世界遺産に登録。
2022年3月、石庭を囲む油土塀の修復工事が終了してきれいになりました。
第47回 京の夏の旅 龍安寺特別公開の内容
京の夏の旅で特別公開されるのは仏殿と西の庭。仏殿奥には昭堂(しょうどう)が、西の庭には細川勝元を祀る細川廟(ほそかわびょう)があります。
龍安寺といえば枯山水の石庭やつくばいも見どころですが、今回は京の夏の旅の特別公開の内容のみをお伝えします。
細川護煕氏筆、「雲龍図」方丈で公開
方丈を飾る襖絵が新しくなっています。方丈中央の「雲龍図」は細川護煕(ほそかわもりひろ)元総理大臣の作。
細川元総理は龍安寺を創建した細川勝元とも系図が繫ることから、細川勝元550年遠忌を記念して9枚の雲龍図を奉納することになったようです。
今回はそのうちの1枚を8面の襖絵として公開されています。
残り8枚も順次公開されるようで、40面ある方丈の襖絵は、全て細川元総理の襖絵に入れ替わるそうです。
現在公開されている8面の襖絵、雲龍図は写真撮影が可能でした。
昭和の建築、仏殿と昭堂
方丈の西側には通路があり、ここに特別公開受付が設けられていました。
ここで400円を支払いまずは仏殿へ向かいます。
仏殿の後ろには仏像などが置かれている昭堂があり建物の中で繋がっています。
仏殿と昭堂内は写真撮影が禁止されていました。
仏殿
仏殿正面からの写真は撮れなかったので京の夏の旅の看板で代用しています。
江戸時代の1797年にかつての仏殿が焼失し、約200年後の1981年に再建されました。
昭和に建てられた総ヒノキ造のまだ新しい仏殿です。釘は1本も使われていない禅宗建築で、屋根は銅板葺きになっています。
中に入るとヒノキの香りが建てられてから約40年もたっているのにまだします。
仏殿内左側の祭壇には天皇家や徳川家の位牌とともに僧形文殊菩薩像が、右側の祭壇には龍安寺歴代住職の位牌が置かれています。
仏殿の天井には日本画家、武藤彰(むとうあきら)が墨と金泥で描いた「下り龍」があり、悟りを象徴する金色の玉を前足でつかんでいます。
こちらも写真は京の夏の旅の看板で代用。
禅宗寺院の天井画といえば定番の龍。他の有名なお寺に比べ龍安寺仏殿の龍は2m四方の小さなサイズでした。
仏殿の前には出ることができませんでした。この2枚の写真は仏殿の横から撮ったもの。
左の写真は仏殿から東にある石庭を見たもの。2022年の春、修復が終わった油土塀の柿葺きがきれいになっています。
右の写真は仏殿前にある鐘楼。外から仏殿へ入る門は現在工事中でした。
昭堂(開山堂)
仏殿の奥、各檀家の位牌が並んだ通路の先にあるのが昭堂。1977年建立、開山堂ともいわれます。
昭堂は入口に柵があり中には入れませんでした。外側から中を見るのみです。
堂内には中央に本尊の釈迦如来像、その左右に釈迦の弟子である阿難陀尊者(あなんだそんじゃ)が左に、迦葉尊者(かしょうそんじゃ)右に安置されています。
釈迦如来像は龍安寺創建より古い鎌倉時代にさかのぼるとされるが伝来は不明。
京の夏の旅受付でもらった説明書きには、鎌倉時代後期の慶派(けいは)の作と伝わると書いてあるがはたしてどうなのか。
その他左端に勧請開山(実際の開山でない僧を開山として信仰すること)の日峰宗舜(にっぽうそうしゅん)の木像(院勝作)。その右に龍安寺開山、義天玄招の位牌。
右端に龍安寺中興開山、特芳禅傑の木像(藤原種久作)。その左に月航禅師の木像が安置されています。
室町時代の庭を復元、西の庭
仏殿と昭堂を見学したあと、仏殿西の扉から西の庭へ出れるようになっています。
1982年に室町時代の庭を復元した約1000坪の回遊式庭園とのことですが、今回の公開は細川廟前の1本道を進んで引き返すのみでした。
動ける範囲が狭いので見学はすぐに終わります。
西の庭は写真撮影が可能でした。
西の庭に出てすぐに石橋があり北側から水が流れています。水のない石庭とは全く違った雰囲気の庭になっています。
龍安寺を創建した細川勝元を祀る細川廟
西の庭中央あたりには細川廟があります。
入口前には細川勝元像についての説明などが書かれたボードが置かれています。
『新版 古寺巡礼京都〈33〉龍安寺』によると、細川廟の扉は室町時代の旧昭堂の遺構のようです。
内部には龍安寺を創建した細川勝元の木像が安置されています。1658年、藤原種久の作。
藤原種久は昭堂の特芳禅傑像、醍醐寺三宝院本堂(弥勒堂)の聖宝像・空海像も制作しています。
細川勝元は室町幕府の管領(かんれい)で、応仁の乱の東軍総大将として戦いました。
勝元像の左には細川家歴代の管領の位牌が並んでいます。
細川廟の西には石塔や、奥(北側)へ続く道があります。今回は奥へ行くことはできませんでした。
また西の庭の各所にはいろいろな形の巨石が配置されています。
細川廟から少し西に進むと行き止まりになり、ここで西の庭は終わりになります。
龍安寺の御朱印
龍安寺の御朱印は庫裡の中にある御朱印受付でいただけます。
先に御朱印帳を預け、石庭拝観中に書いてもらえます。
長い間「石庭」の1つのみでしたが、近頃は限定御朱印も出されるようになりました。
2021年1月1日から4月11日までは期間限定御朱印として、今回紹介する「釈迦如来」の御朱印の背景が白のものが出されていました。
今回の「釈迦如来」の御朱印は背景に石庭が印刷されています。
限定御朱印は書き置きのみのことが多いです。
通常御朱印
「石庭」300円
「石庭」の御朱印は御朱印帳に書いてもらうことができます。
写真は2016年にいただいた「石庭」の御朱印で書き手の方が代わったのか、最近はこの文字を見ることはほとんどなくなりました。
これよりも柔らかめの文字で書かれることが多いと思います。
限定御朱印
「釈迦如来」400円 書き置きのみ
今回の京の夏の旅限定かどうかはわかりませんが、開基細川勝元公550年遠忌記念という印が押された御朱印が出されていました。
中央の墨書きは昭堂に安置されている御本尊の釈迦如来。
こちらは御朱印受付ではなく、庫裡入ってすぐの通常拝観券をチェックするところでいただきました。
龍安寺の御朱印帳 つくばいと石庭
龍安寺の御朱印帳は大きいサイズのつくばい朱印帳と、小さいサイズの石庭朱印帳の2種類。
御朱印帳の大きいサイズと小さいサイズについて詳しく知りたい方はこちらの記事からどうぞ。
紺色の吾唯足知(われただたるをしる)のつくばい御朱印帳は男性用、ピンクと金のかわいい石庭御朱印帳は女性用といったところでしょうか。
上の写真は以前のもので現在(2022年8月)は各1,300円になっています。
御朱印受付横の売店で購入することができます。
龍安寺
住所 : 〒616-8001 京都府京都市右京区龍安寺御陵下町13
電話 : 075-463-2216
龍安寺近くのゆっくり観光できるお寺
龍安寺から歩いて行ける距離に等持院(とうじいん)というお寺があります。
人が多い龍安寺とは違い、観光客が少なくのんびりできるところです。
龍安寺まで来たなら等持院も拝観してみるのがおすすめです。
等持院について詳しく知りたい方は下記のリンクからどうぞ↓
【ゆっくりできるお寺】京都等持院、皐月と紅葉の観光ベストシーズンを紹介