【京都観光の穴場】皐月と紅葉がおすすめの等持院、見どころと御朱印を紹介

等持院庭園

等持院は石庭で有名な龍安寺(りょうあんじ)の近くにあります。

室町幕府を開いた足利尊氏(あしかがたかうじ)が建てたお寺で、足利氏の菩提寺です。

由緒あるお寺ではありますが、ほとんどの観光客は王道コースともいえる龍安寺から仁和寺などに行くため等持院の観光客は少ないです。

龍安寺や仁和寺、同じ足利氏が建てた3代足利義満の金閣寺や8代足利義政の銀閣寺と比べたら正直華やかさは敵いません。


その代わり等持院は観光客が少ないので、ゆっくりのんびりと過ごせる空間と散歩するにはちょうどいい大きさの庭園があります。


趣が異なる2つの庭園があり、西側の庭には皐月(さつき)の刈り込みが、東側の庭には紅葉が多く植えられているので、

初めて訪れる場合は5月下旬からの皐月が咲き始める頃か、11月下旬〜12月上旬の紅葉の時期がおすすめです。

池の周りをゆっくり散歩しながら京都の季節を感じられ、西庭の横にある書院ではお抹茶をいただくこともできるので座ってゆっくりと庭を眺めることもできます。

有名な観光地は人が多くて疲れる方や、京都の庭をのんびりと楽しみたい方には観光の穴場等持院がおすすめです。

基本情報

寺 名萬年山 等持院(とうじいん)
拝観時間午前9時~午後4時30分(午後4時受付終了)
拝観料大人500円 / 小人300円
宗 派禅宗
御本尊利運地蔵尊
アクセス京都市営バス10・26系統「等持院南町」下車、徒歩約8分
京福電鉄北野線「等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅」下車、徒歩約5分
駐車場・駐輪場駐車場10台無料

等持院の歴史

2つの等持寺から等持院へ

室町幕府を開いた初代足利尊氏が、京都で最初に建てた邸宅は二条大路高倉にあったと考えられています。

その南にはやがて室町幕府の公的仏事を行う官寺として等持寺が開かれました。

その後1341年、現在の等持院がある場所に足利尊氏が夢想疎石を開山として等持寺別院を創建します。

2つあった等持寺は、尊氏邸宅の近くの等持寺を南等持寺、現在の等持院がある場所にあった等持寺別院を北等持寺と呼んでいました。

1358年、足利尊氏が亡くなり。葬儀は北等持寺で行われます。

尊氏の法名等持院殿仁山妙義に因み、寺号を北等持寺から等持院へと改めました。

南等持寺は応仁の乱の後廃寺となり等持院に合併されて現在に至ります。

現在の等持院

等持院創建時は大寺院でしたがその後火災で焼失。1457年に足利義政によって再興されますがその後再び焼失します。


1606年に豊臣秀頼が片桐且元(かたぎりかつもと)に復興させますが

江戸時代の後期の1808年、等持院は3度目の火災で全てを失いました。

現在の方丈は1818年の復興で、妙心寺の塔頭海福院の方丈を移築したもの。

最近では2017年6月7日から2020年7月末日まで「本堂」•「霊光殿」•「清漣亭」の改修工事が行われました。

2020年8月1日から通常通り参拝ができるようになっています。

庭園

等持院書院

等持院の庭園は世界遺産の天龍寺・苔寺(西方寺)と同じ夢窓疎石作と伝えられています。

西側に「芙蓉池」、東側に「心字池」と2つの庭があります。

等持院の観光は主に庭園散策がメインになります。

花が好きな人は春の皐月のシーズンに、紅葉が好きな人は秋の紅葉シーズンに訪れるのがおすすめです。

境内、特に拝観エリア内桜は少ないので桜の時期は他の観光地へ行く方がいいでしょう。

また仏像も少ないので、仏像が好きな人には同じく観光客が少ない泉涌寺塔頭の戒光寺をおすすめします。


仏像に興味がある人は下記のリンクからどうぞ↓
【京都仏像の穴場】世界最大10mの釈迦如来立像 戒光寺特別拝観と御朱印

庭園へは書院からサンダルを履いて出られるようになっています。

西の庭園・芙蓉池(ふようち)

等持院清漣亭

芙蓉の花を形どった庭になっており、書院から眺めることができる西側の庭は「芙蓉池」と呼ばれています。


こちらの庭は書院で抹茶をいただきながら座って眺めることができます。

茶室・清漣亭と皐月の花の組み合わせが美しく風情があるので、皐月の時期(春)に訪れるのがおすすめです。

天気がよく暖かい日だと書院にしばらく座ってぼーっとしたくなります。それができるのも周りに観光客が少なく静かだからです。

等持院芙蓉池

西の庭は茶室があったり、石組があったりとしっかりと整備された庭であることがわかると思います。


庭の周りは歩けますが、池の中にある島には入れません。

5月下旬頃、ピンクと朱色の皐月が緑の庭に彩を添えます。春の花々と池の鯉を眺めながらゆったりとした時間を過ごせます。

茶室・清漣亭(せいれんてい)

等持院清漣亭

芙蓉池の北側、小高い所には茶室清漣亭があります。

清漣亭は1457年足利尊氏100年忌に、8代将軍足利義政が等持院を復興したとき建てられた数寄屋造りの茶室です。

その後2度等持院は火災にあっているので、現在の建物はその後の再建のものと考えられています。

2017年6月7日から2020年7月末日まで本堂•霊光殿•清漣亭の改修工事があり、新しくなって2020年8月1日より公開されました。

改修工事前(2016年)
等持院旧清漣亭

写真は2016年の清漣亭。以前は隣にもう一つ建物(小さい方)があったのですが、今回の改修工事で無くなりました。

清漣亭は近くまで行くことができ、内部が見れますが中には入れません。


建てられた当時は障子を開けると背後の衣笠山を見ることができたようです。

無くなった隣の建物

足利義政が清漣亭を建てた時この建物はなく、明治以後に建てられたとものされています。


建物は今回の改修工事で無くなり義政が清漣亭を建てた時の同じようなかたちに戻りました。

東の庭園・心字池(しんじいけ)

等持院心字池

西の庭「芙蓉池」から奥へ進むとまた違った景色が現れます。


東側の庭は「心字池」と呼ばれており漢字の「心」の草書体の字形にかたどってつくられた池庭で、池の中に3つの島があります。


この庭は現在も等持院の東側に建つ真如寺の庭が原型であるといわれています。

こちらの庭は秋の紅葉の時期に訪れるのがおすすめです。

東の庭は自然そのままの雰囲気を残す庭園で、池の周りをぐるっと一周してまた西の庭へと戻ります。


のんびりと歩くには広すぎず狭すぎず、いい広さで疲れることもありません。

中ノ島(妙音閣跡)

等持院妙音閣跡

池の中にある大きな島には昔、妙音閣という2階建ての建物がありました。


残念ながら1950年(昭和25年)のジェーン台風で倒壊してしまい現在は礎石のみが残っています。


妙音閣の姿は、重森美玲の著書『日本庭園史図鑑』の等持院庭園の写真に少しだけですが写っています。

中ノ島は橋を渡って行くことができます。ここには紅葉が多くあり太陽に照らされて木漏れ日が綺麗です。

足利尊氏の墓

足利尊氏の墓

西の庭「芙蓉池」と東の庭「心字池」を区切るような中間の場所に足利尊氏の墓があります。


周りを山茶花の木で囲まれた中にひっそりと石塔が立っています。

足利尊氏は室町幕府を開いた初代の将軍。

等持院の他にも世界遺産となっている嵐山の人気の観光地、天龍寺を建てた人でもあります。

方丈

等持院方丈

写真は書院から見た方丈の後ろ側。西の庭「芙蓉池」の南にあります。

方丈内部は入ることができず、写真撮影も禁止になっています。

現在の等持院方丈は妙心寺の塔頭海福院の方丈が移築されたもの。

建物自体は妙心寺の塔頭海福院の方丈として1616年頃に建てられ、1808年の火災で等持院方丈が焼失した後1818年の復興で等持院へと移されました。

等持院方丈庭園

方丈の南側には庭があり、唐門の横に大きな紅葉の木が1本あります。


こちらの庭は先代住職の関牧翁によって整備されたもの。

霊光殿

等持院霊光殿

方丈の東側にある霊光殿。現在の建物は明治以後に建てられたものとされています。

中には初代足利尊氏から15代足利義昭まで歴代の室町幕府将軍像(5代足利義量・14代足利義栄は除く)13体が安置されています。現在の像は江戸時代のものとされています。

この他に徳川家康42歳の像も置かれています。この像はもと石清水八幡宮にあったものを1882年に移したもので、等持院に移された理由はわかっていないようです。

霊光殿の最も奥まった所に尊氏の念持仏とされた本尊利運地蔵立像・禅宗の祖師、達磨大師像・等持院の開山、夢窓疎石像が祀られています。

足利尊氏は地蔵菩薩を信仰しており、自ら絵を描いたりもしています。

写真 : 等持院リーフレット

写真左 : 霊光殿内部 写真右 : 足利尊氏木像

霊光殿内は写真撮影禁止になっています。

等持院の御朱印

御朱印はスタンプで御朱印帳に押してもらえます。手書きはしてもらえません。(日付は除く)

足利尊氏の念持仏、霊光殿に祀られている本尊利運地蔵尊の御朱印1種類のみです。

等持院御朱印

利運地蔵尊 300円

等持院

住所 : 〒603-8346 京都市北区等持院北町63番地
電話 : 075-461-5786